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家族

  • marukanta1777
  • 2月23日
  • 読了時間: 4分

先日、昔の職場の大先輩の方々とお会いできる機会があり、

ひとりで、山梨まで行くことになった。

眼の調子の心配もあったので、無理のないように

日帰りはせずに、山梨に住むいとこのお姉ちゃんの家に泊めてもらうことにした。


2つ年上のお姉ちゃんは、子供の頃から家族のように過ごすことが多かったので、

本当の姉のような存在。それは昔も今も変わらない、とっても有難い存在のお姉ちゃんだ。


今回もたくさんおしゃべりして、いい時間を過ごし、あっという間に

帰りの電車の時間になった。

オシャレなコーヒー屋さんで、テイクアウトしたコーヒーを

甲府駅のベンチで飲みながら、他愛のない会話を交わした。

始発の『特急かいじ』に、お姉ちゃんも一緒に乗り込み、指定席までついて来てくれた。

さぁそろそろ出発かなって、お姉ちゃんは電車を降りて、

今度は、ホームから窓越しに私を見守ってくれた。

発車するまでホームに居てくれるお姉ちゃんを見ていたら、

急に父のことを思い出してしまった。


あれは・・・私が21歳の頃。

就職したばかりの銀行のお仕事が辛すぎて、辞めたくてどうしようもなかった。

私は『銀行を辞めます』と宣言するために、単身赴任で千葉に居る父に会いに行ったことがある。

実際に父を目の前にした途端、

そんな宣言をしたらめちゃくちゃ怒られるだろうなぁ〜って、怖気付いてしまった私。

父が案内してくれるまま、千葉駅のデパートでご飯を食べさせてもらい、何事もないかのように普通に父と時間を過ごした。


だけど、『やっぱりちゃんと伝えたい!』と思い直し、千葉駅で帰りの切符を買う寸前に、

「パパ、私話したいことがあって・・」と言うと

父はそれならば・・と、駅前の喫茶店に寄ってくれた。


人が多くざわつく店内で、私は意を決し、自分の苦しい胸の内を父に伝えることにした。

新人の私の仕事量が多い事や、直属の上司が自分のミスを全部私のせいにして

上の人に報告している事が腹立たしい・・など様々な愚痴をこぼした。

そんな私の顔を意外にも優しい眼差しで見つめる父の顔があった。

『怖いなぁ、怒るだろうなぁパパ。』と思いながらも、あまりに優しい父の顔を横目に

胸の内の半分くらいは伝えることができた。


そして、父はこう言った。

「お前がその馬鹿な上司に歯車合わせてどうする?お前はお前のペースで回ってろ。」

と一言。

『え〜やっぱり辞めて良いとは言わないよね・・パパ、私やめたいのにぃ〜』というのが私の心の声。

黙っていると、「お前は働いて何年目だ?」と父。「1年目・・」と私。

「俺の部下も辞めたいって相談してくる奴は、だいたい1年目、3年目と奇数の年数の奴が多いんだ。ちょっと、仕事に慣れ始めた頃っていうのは、辞めたくなる時期なんだよ」って父は付け加えた。

「う・・ん。じゃあもうちょっと頑張ってみるよ。」と渋々納得したふりをする私に

父は、特急の確か二階建ての車両だった覚えがあるのだが、何だかすごい電車の切符を買ってくれた。

指定席まで案内してくれた後、父は、発車時間まで、ひとりホームでタバコを吸いながら、窓越しにずっと私を見守っていた。

『まだ発車まで時間があるから、帰っていいのにぃ〜』と私は思っていたのだが・・。

(父は、確か3本くらいはタバコを吸ったのではなかったかと思う。結構長い時間だった。)その父の姿が心の目にすっかり焼き付いてしまった。

この記憶は、結局、『その当時21歳だった頃の私』以上に、

後の人生の『様々な苦しい場面に遭遇する私』をいつも励ましてくれるすごい原動力となっていった。


今現在の私は、50歳。そして21歳の息子がいる。

今の方がこの時の父の親としての気持ちが胸に沁みてくる。

本物の愛っていうのは、時間が経っても色褪せないし、むしろ、

時間が経ってからの方が全容を感じ取れるようになったりする。


・・さて、

私が乗った特急かいじは、甲府駅から発車した。

ゆっくりと離れていく電車の中から、お姉ちゃんが優しい眼差しで

手を振る姿が見えた。

「お姉ちゃん、ありがとう〜」と心の中で感謝し、何となく

涙が出てきた。

口にはしないんだけれど、私のこと、心配してくれているお姉ちゃんの気持ちが伝わってきた。このバイバイする瞬間に伝わってきた。


30年も前の父の記憶とも相まって、

優しい穏やかな心になってゆく自分の顔が

トンネルを抜ける電車の窓に映っていた。



(電車の中からの景色)







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